ギリシャ危機と並んで報道されることが多いシリアの内戦ですが、ここに生涯をささげた有名な獣医師がいます。政治家をはじめ日本人の劣化は著しいけど、かつては立派な日本人も多かったのかな?
いい話なので、以下毎日新聞からの抜粋記事です。
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発信箱:シリアと獣医師=小倉孝保(欧州総局)
毎日新聞 2012年06月13日 00時04分

 内戦の危機さえ叫ばれるシリア情勢をみるにつけ、この国の家畜衛生に生涯をかけた獣医師、折田魏朗(ぎろう)氏を思う。
 鹿児島で獣医師となり1964年10月、日本獣医師会からの要請で、妻と一人息子の節(みさお)さんとともにシリアに渡った。以来、トルコ国境に近いアレッポを拠点に海外技術協力事業団(OTCA)の専門家として、主に羊の育成に取り組んだ。
 シリアに入って、しばらくすると妻は体調を崩し帰国、節さんは病死した。それでも本人はシリアを離れず、羊のお産となると200キロ離れた草原まで車を走らせた。しだいにその獣医学知識の深さと熱心さは聞こえ、隣国からも遊牧民がバスで大挙して教えを請いに来るほどになった。
 レバノン内戦(75~90年)中、車のボンネットに大きく「ドクトル・ヤバーニ(日本人医師)」と書いて、銃声の響く紛争地を通って家畜の出張治療に出かけた。「大臣から八百屋のおじさん、草原の遊牧民にまで愛された」といわれる折田氏である。ドクトルが通るときだけ、双方が撃ち合いをやめ、車を通したとの逸話も残る。
 シリア人以上にシリアを愛したサムライは08年11月、84歳で生涯を閉じ、今は節さんとともにアレッポの墓地に眠る。

 私は生前、1度だけ折田氏に会ったことがある。穏やかな笑みを絶やさぬ好々爺(こうこうや)。「特攻隊で死のうと思っていました。拾った命なのでね……」。折田氏がのみ込んだ言葉は「何か他人のためになることがしたかった」か。控えめな物言いに品性の高さ、心根の強さがにじんだ。
 折田氏の努力もありシリアの羊肉は今、中東でも抜群にうまいとされる。そのシリアの危機を泉下の折田氏はどう思うだろうか。「バカもほどほどにせえよ」。寂しげな声が聞こえる気がする。