9月 ×日(晴)
当世動物病院事情①
動物の高齢化にともなって、最近は悪性腫瘍を患うケースが増えています。ひと言で悪性腫瘍(=ガン)といっても、ごく初期のものからはじまって、末期の癌性腹膜炎までその症状はさまざま。もちろん末期的な状態でようやく来院した場合には、こちらとしてもオピオイドで痛みをのぞくとか腹水を抜くくらいの対症療法しか打つべき手がないのが現実。
その一方で、「外科手術」もしくは「外科手術+化学療法」によってわりと良好な予後を期待できるケースもあり、この場合当然ながら獣医師として手術なり化学療法(=抗がん剤投与)なりに力点をおいて説明することになります。
大半の飼い主さんはこれらの内容に一定の理解を示し現実的な対処を希望しますが、なぜか一部の飼い主さんの中には、「手術は痛くてかわいそう」とか「抗がん剤の適用は副作用が怖い」、はては「この子はナイーブで入院なんてとても出来ない」といった合理性を欠く理由で、その先の一歩を踏み出せない方がいます。
もちろん最終的な決定は飼い主さんによってなされるべきであり、熟慮の末に判断するという態度そのものに私は何の異論もありませんが、本当に「手術は痛くてかわいそう」なのでしょうか?「抗がん剤の適用は副作用が怖い」のでしょうか?「命にかかわる病気なのに入院ができない」なんてことがあるのでしょうか?
獣医師の立場で言わせてもらえば「術前・術中・術後を通し鎮痛薬の使用が広く普及した現代、動物が痛みで七転八倒することはありません」し、また先入観にとらわれ過ぎて抗がん剤の適切な使用を必要以上に怖がり、その結果治療の機会を逸してしまいかねません。まして「入院出来ない」とか「自宅療法に限定したい」なんて、どう善意に解釈しても自己都合としか思えない。それこそ本当に”動物がかわいそう・・・”。助かる命も助かりません。
いざという時、現実を見据えて愛する動物のために冷静な判断を下せる飼い主であってほしい、・・・一獣医師としての切なる願いです。
9月 ×日(曇)
とうとうPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)を応用した感染症の診断技術vが獣医療界にも導入されました。これを利用する事で、例えば消化器症状を呈している犬に対して、パルボウイルスワクチンによる抗体上昇なのか、パルボの野外株による本当の意味での感染なのか、はたまた今まで診断の難しかった血液に住む原虫のDNAを血液中から高感度に増幅して検出、確定診断を下す、といったことが容易になります。
このPCRはひとりの米国人天才化学者マリス博士によって80年代に開発され、93年のノーベル医学生理学賞の栄誉に輝いた革命的なもの。
現在マリス博士は分子生物学の世界では20世紀最大の功労者といわれていますが、かなりの変人としても有名。プロ顔負けの伝説のサーファーにして若い頃はLSDによるトリップの熱烈なファン、ノーベル賞を受賞したPCRもなんと恋人とのドライブ中にそのアイデアがひらめいたとか。しかもストックホルムでの受賞式には妻と愛人(恋人?)も駆けつけたツワモノ。これぞMad scientist!
やるなあ、マリス博士。
9月 6,7日(嵐)
台風の直撃を受けて軽井沢町は大混乱。幸い6日は休診日だったので外来診療はなく入院動物の治療だけです。台風情報を確認しつつも夜11時頃まで調べものをしていると、突然停電!!一瞬暗闇になりましたが、2階の自宅はともかく1階の病院エリアは自動的にバックアップ電源から電力供給を受けて照明や最小限の機器は作動できる状態に移行。当初はすぐに復旧するだろうとタカをくくっていましたが一向に回復の兆し無し。その後も雨風はひどくなるばかり。バックアップ電源も復旧を待てず5時間で切れてしまいました・・・。(@_@;) 参ったなこりゃ。
結局翌7日午前10時半まで、約11時間前後の空白を経てようやく回復しましたが、その間電話も通じず本当に参りました。それでも当院はまだ早く復旧したようで、場所によっては36時間という長期にわたって停電状態が続いたところもあるみたい。台風の影響を受けての停電ですから天災といえば天災ですが、その後のあまりにも緩慢な対応と復旧の遅れは、もう人災と言えなくもないレベルです。電気のありがたさを心から実感するも、ここは中部電力に一言言いたい気分なのだ。(+_+)
8月 ×日(晴)
みなさん、「NT-proBNP」ってご存知ですか?訳すと”脳性ナトリウム利尿ペプチド”という心室由来のホルモン様物質であり、血液中のこれを調べる事でごく初期の心不全を見つけることが出来ます。なぜ脳性というかといえば、1988年世界で最初に見つかった場所が豚の脳であったことに由来しており、しかもその当時はこれが心臓由来であることは誰にも分からなかったため。今まで欧米を中心に獣医師向けの文献などで注目されていましたが、とうとうこの検査が国内でワンコでも可能になりました。
従来心機能の検査といえば聴診に加えレントゲンやエコー、ECG、ホルターといったところが一般的でしたが、この検査の優れている点は、患者への負担が少ない上に末梢の血液検査で心不全の程度をかなり初期の段階から正確に予測できることです。今後中年~高齢犬の健康診断(スクリーニング検査)として普及していくものと思われます。
ちなみに当院での検査第一号は看板犬のりーちゃんでした。
7月 ×日(雨)
ダイナースカードの会報誌SIGNATUREにいつも私が楽しみにしているコラムがあります。このコラム、福岡伸一氏が人体の不思議、生物の多様性を独自の視点から解説していますが、これが極めて知的でためになる内容。それだけに、読者の限られる雑誌のコラムにしておくには本当にもったいないなあ、と常日頃思っていたところ、最近これが本になりました。その名も「生物と無生物のあいだ」。
題名がちょっとカタイのですが、内容は高度な分子生物学の知見を極上のミステリー仕立てとさわやかな筆致で描写。興味のある方には、おそらく分子生物学の知識がなくても楽しく読めるはず。きっと今年のベストセラーになることでしょう。オススメの一冊です。
7月 ×日(雨)
久しぶりの休暇を利用して、かねてより評判の歌舞伎「十二夜」を観た。2年前の初演以来人気が高く、やっとの思いでチケットを入手、雨の中歌舞伎座まで行った次第です。かのシェークスピア原作だけにストーリーの面白さは言うまでもありませんが、なんといっても蜷川幸雄氏の演出による鏡を使った大掛かりな舞台が感動的!さらに尾上父子による変わり身のはやい演技は圧巻の一言に尽きます。
そういえば、尾上菊五郎さん一家は毎年軽井沢に避暑に来られ、昨年も愛犬を連れて当院にも何回かいらした事がありました。その様子から大変な愛犬家とお見受けしましたが、かわいいワンコたちに十二夜で自身の演ずる歌舞伎役の名前をつけていました。歌舞伎と同じくらいワンコも好きなんだろうと感じたことを昨日のように思い出しました。今シーズンいらしたら、ぜひサインを頂こうかなあ。
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その後サインいただきました(^O^)/書きなれておられる様子ですごい達筆!
7月 ×日(霧)
私の就職活動記・・・番外編
動物病院に就職しても、その後平成3年~5年にかけての間数度にわたって、長野県の人事担当者から私の実家に公務員への勧誘電話がありました。担当者いわく「公務員も捨てたもんじゃないですよ。もう一度県職を考えていただけませんか?」
その時点で私は都内におり実家にはいません。いつも母がその電話を受けていたのですが、断っても断っても毎回熱心に口説くので母もかなりまいったみたい。(>_<)人生いろいろ、獣医もいろいろです。
7月 ×日(雨)
私の就職活動記・・・⑤
卒後私は吉祥寺のN先生の紹介で葛飾区内の動物病院に就職しました。院長のI先生は非常に仕事熱心な方でしたが、それもそのはず、元々は日本獣医畜産大学(2年ほど前、日本獣医生命科学大学というなんだか訳のわからない名前に名称変更したもよう)で薬理学の教鞭をとられていた学究の人。かつて大学で師事していた先生が、石原慎太郎の小説「生還」のモデルとなったH先生(小説の中では田沼先生だっけ)とか。I先生は当時から動物の腫瘍性疾患に造詣が深く、動物の悪性腫瘍について今でこそ一般的になった化学療法剤は言うに及ばず、丸山ワクチンや漢方に至るまで積極的に取り入れて、当時としてはかなり先進的な研究をされていました。
ところで当時の私は、私をI先生に紹介したN先生は外科出身なのに派手にメスを振るう事をよしとせず内科療法を限界まで推し進めるところがあり、一方I先生は薬理学教室出身でありながら内科療法・薬物療法にこだわることなく、むしろ元気に(!)メスをふるっていたことを不思議に思っていました。その後、日々の診療をとおして私が理解したのは、外科出身であるがゆえにN先生は外科の限界を知っている、薬理出身であるがゆえにI先生は内科治療の限界を知っている、ということでした。お二方とも現在でもお元気で日常診療をされておりますが、いまでも私の目標とする先生方であると同時に、私の診療スタイルのルーツであることに変わりはありません。
7月 ×日(雨)
私の就職活動記・・・④
試験は放り投げてしまったけど、教授に一応報告しないわけにもゆかず、後日教授室を訪ねました。事前に助教授のK先生に事の顛末を説明してあったので、M教授も笑いながら迎えてくれました。開口一番「ひどい話やな。」と憤慨。「そもそも菊池君は公務員に向かんかもしれんから、そんなところに行かんで正解や。」う~ん、さすが教授、私の性格も見抜いている・・・。教授曰く、地方公務員といっても東京都や大阪府などの大都市を抱えているところや横浜のような政令指定都市では人事体制も獣医師に対する受け皿もしっかりしているが、田舎の県職幹部連中の中にはいまだに獣医師が6年制であることを知らない者もいる。それだけに大都市は獣医師の確保が容易だが、一方田舎では慢性的な獣医師不足・優秀な人材不足に見舞われるのだ、今後もこの傾向は変わらない、と。
獣医師という職業を通して、私が初めて地域間格差を実感した瞬間でした。
7月 ×日(霧)
私の就職活動記・・・③
しばらくして一次試験合格の通知が届きました。聞くところによると、獣医師不足が深刻で受験者全員(7~8人だったかな?)合格だったらしい。何のための一次試験なの?かたちだけ?
日を改めて二次試験に臨むと、部屋には試験官が3~4人座っていました。年配の試験官(部長クラス)が1名、それを補佐する課長クラスが2~3名といった構成とみた。
どんな質問をされるのか興味津々でいたところ、開口一番に年配の試験官から「失礼ながら君は2年留年しているね!」と言われてビックリ!椅子から転げ落ちそうになりました。なんとこの試験官は獣医師が6年制であることを知らなかったのです。あわてた隣の試験官が質問を発した試験官に対して耳元で「獣医師は6年制なんです!」とささやいている始末。信じられない、こんな面接!これには私も激怒!「失礼にもほどがある、私は現役だし留年もしいない、本当に失礼だ!獣医師の教育年限くらい調べてから臨むべきであり、あなたに私の面接をする資格はありません。」と正論を吐いていた。そもそも獣医師免許さえ取得していれば就職には困らないだけに、若さも手伝ってここはあくまで強気。ここまで言われて相手ももう質問する気を失せたとみえ、これで面接終了。というより、そのまま私が部屋を出てしまった。青二才相手に年配の試験官もさぞ慌てたことでしょう。私も若かったけど、この時の対応は今でも間違っていなかったと信じています。